世界のモトと肺の痛み。

どうも。
deadfishです。
少し小難しい話をひとつ。

一馬君が楽をしたいのか僕を見習って来年の講座に倫理を入れてしまいましたので、今日はその倫理について教えていました。
まあ、卒業してもう二年・・・。
いろいろと『哲学』ってやつを覚えてて良かったです。



とりあえず今日は万物の根源を講義。
僕は高校のころはウパニシャッドを中心に勉強していたので形而上学は少々疎いところもあるんですが、ただ哲学を本格的に開始しようという人のとっかかりの大半が万物の根源・・・俗に言うアルケーなので教えておいたほうがいいのでしょうね。
というか一馬君は本気でセンター試験で倫理哲学を選択するということが分かりましたのでどう考えてもアルケーアルケミストを教えないわけにはいきません(汗)

そもそも倫理における「万物の根源」なんて一番重要でいて一番無駄という奇妙なロジックが成り立つ代表例ですよ(;´Д`)
・基本として勉強しなければならないアルケーの代表例はそもそもアニミズムが基本となって考えられているのでこれから先も民俗学を基点にして考えなければならない。でもアルケーは自分が無知識の素体でいて初めて閃いた物がアルケーとして認知されるべきであるのでパラドックスが起こってしまう。
・で、日本ではアルケミストはどんどん減っている。お金にならないから。日々の生計を立てるべき内容ではないから。アルケミストがどんどんいなくなるということは日本独自の根源理論がなくなってきているわけで。というかそもそもアルケーは結論を出すことを許されず過去から何百年と議論され、まだ考えることをやめてはいけない議題なのでそれをやめてしまうということは参考資料は過去に遡り参照するしかない。というとやはりそこにアニミズムが出てきてしまい論理が遺物から脱却できない状態に陥ってしまう。


となると時間的に診ても論理的に診ても日本は見えない鎖に縛られてしまい考える行為がなくなってしまう。
さらにコギトエルゴスムと出されたらたぶん、混乱する。


日本はもう万物の根源を通り越して科学に走って今はもう超現実主義偏重主義になっている。
別にそれは全然悪いことじゃありません。
むしろ不思議系サブカルチャー万歳です(笑)

ただ、その中で押井守さんや奈須きのこさんなんかも自身の作品の中でアルケーの描写をしているもののどういうわけかはっきりと明記していない。
多分、理由は二つ。
さっきの日本における根源を考える文化の衰退と、もう一つはそれによって「解する」ということを覚えてないから。
まあ方向性がアルケーメインで動いてないからなんともいえないけど二人とも作品中では根源に触れることを禁忌としている。
それはアルケーに触れることを目的としているわけじゃなくて触れさせようと誘発しているだけで本当はその函の中に根源はないんだと思う。
そういう創りにしているから。

でも全然NICE WORK!です!d(o^v^o)b
楽しいから。


でも正直、奈須きのこさんについては色々と考えるところが・・・。
あの人、なんていうか天才過ぎるところがあるからみんな模倣する。
でもほかの人もそれなりに才能があってオマージュしたり、そういうスタンスで作品を作ってくる。
すると僕の中では「奈須きのこ」がねずみ講式に膨れ上がって一人→数千倍、になる。
・・・って、そこまで色々みんなが奈須きのこやると飽きる。
いくら好きだからってそこまで読んでると胸焼け起こしそう(汗)

最近、二日にいっぺんのスパンで食べた生クリームたっぷりのクレープを思い出しました(笑)

そんなわけである人の言葉を借りるとすると。
「もうそろそろ『奈須きのこ』をその文学性から開放したほうが良いんじゃないか?」
という結論に。

って脱線しました。
そんなわけで、日本に根源の、真の永久探索者を希望します。
求ム、救世主。

でも良く考えたら人間に考えることをやめるなっていうのは酷く残酷な気がします。
それと同様に考えるなっていうのも・・・。

で、さらに酷な事はいま隣にいる希望に満ち溢れた一人の新たな哲学探究者にこの話をいずれはしないといけないってことです。
嗚呼、がんばって勉強してくれたまえよ(T_T)



さて、花粉症のせいなのかしりませんがくしゃみをすると肩口から肺に、そして指までを含む腕全体に電気のような痺れを感じます。
なにかまずいことにならなきゃいいんですが・・・。
明日、新潟のアパートに戻るのでその前に朝一番で医者に・・・。


では今日はこの辺で失礼します。
僕の明日の旅路と体が良いことをお祈りください。
では失礼します。